静岡市・吉祥寺の中野住職が語る「葬式、法要(初七日、四十九日、初盆、新盆)、供養、納骨、お墓、一周忌、三回忌などの仏事のこぼれ100話」でタグ「お盆」が付けられているもの


jyusyoku_kaku.jpg(まとめ08)静岡市吉祥寺の中野住職が語る「仏事のこぼれ100話」--8--年中行事あれこれ

静岡市吉祥寺(http://www.kitijyouji.jp/)の中野住職が語る「仏事のこぼれ100話」です。
富士山の見えるお墓,樹木葬,海洋葬,葬式,守り本尊,戒名,法要,初七日,四十九日,初盆,新盆,供養,納骨,お墓,一周忌,三回忌など、
身近な仏事から役立つこぼれ話を選んでみました。
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8:年中行事あれこれ

 

8-NO1-87 
お盆の時期です A
 ちょっとお断りですが、実はこのブログは一度110話まで書きまして、そこで扱った項目別に分類し加筆訂正しながら編集いたしました。その最初の書き出しがお盆時期からだったのです!
そこでささやかな思い出として、そのまま出だしを残しましたのでご容赦くださいませ・・・・。
第1回目ですから、ついつい肩に力が入ってしまいそうですが、これから「お百度参り」に掛けまして、とりあえず100話を目標に思いつくままに記してみたいと思います。どうぞお気楽にお付き合いくださいませ。
ちょうど今は7月のお盆が済み、今度は8月のお盆ですが、田舎にはこの他「一日盆」(ついたちぼん)というものがあるんですね。 時期は7月31、8月1日、2日です。なんでこんなにバラバラなってしまったんでしょう?
答えは「農作業の都合」なんだそうです。お経にお邪魔すると「なんで7月8月と2回あって、企業では8月が休みなの?」とよく聞かれますが、お盆の由来を長々と並べて説明するよりも『仏事も生き仏様の都合じゃないですかネエ、年忌法事にしても祥月命日にピタっと勤めることはほとんどできないでしょう・・』と申し上げております。まさに「地獄の沙汰も金次第」というわけです。
よく <お盆はこうして祭らにゃダメ!> と力む人を見受けますが、いつも申しますように『供養にカタチはありません』からもう少し肩の力を抜いていただき、フと気がついたら『ありがとさん!頼むね・・』って手を合わせて見る感じで歩いてゆきたいものだと思うのです。この「仏事こぼれ話」もこんな方向を皆様と共有できることを願って進んで行けたらと思っております。

 

8-NO2-88
お盆の時期です B
続いてお盆の出来事です。
棚経というのがありますね。 お盆の期間内に1軒々お経に廻る行事です。その時に 『チョっと聞きたいけど、ウチのお爺さんは、お盆中はお墓にゃ居ないだかねエ?』というお尋ねが時折あります。これも聞きにくい部類ですね。 どうしましょう?なんと答えたらいいんでしょう? 先ずは初心に帰って頭を空っぽにして考えてみましょう。世間では『あの世・この世、地獄・極楽、霊魂云々』といいますが、本当に逝ってしまった人は決して戻って来て報告してはくれません。戻って口を利いたらエライことですよ!!
とにかくこれだけは現時点で誰もが認める事実ですから、見えない・聞こえない世界に関して『アルかナイか?嘘か本当か?』という答えの出ないことはそっとしておいたらいかがでしょう?
もちろん中には『見える人や聞こえる人』もいるかもしれませんが、そんな人は限りなく少ないし、現状では客観的な検証が不可能なんですから、やはりソっとしておくことが賢明でしょう。
そしてはっきり誰もが納得できることは、『どこに居るのかな?』と思った時や、故人をフト『想いだした』その瞬間には、間違いなく故人はあなたと一緒ですよね・・・・・・・。私は居る居ない等で迷ったりケンカしたりするより、『大丈夫?元気でやってるからね』と語りかけをなさったらとお奨めしています。
どうでしょう、少しは答えになりましたかしら?

 

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お盆の時期です C
7月8月はお盆月ですから、勢いそのあたりの話題となりますのでお願いします。
さて、お盆飾りには定形がありません。
かつては、ナスの牛にキュウリの馬を作って飾りましたが、今ではスーパーに行けば、わらで造った牛や馬があり「お盆用品一式セット」となっております。でもこれで驚いてはいけません、棚経にお邪魔するとナスやキュウリどころか、わらの牛や馬の替わりに、なんとスペースシャトルや新幹線が飾ってあるところもありました。これは良いとか悪いというのじゃなくて、『想い』の世界ですから私は宜しいかと思いますが・・・・。いずれに致しましても、我々庶民はしたたかであり創造力や柔軟性に富んでいるんですね・・・。
ともすれば 『それは違う!こういうふうに祭らなきゃダメだ』 ということがいつものことですが、原点にはそんな決まりはどこにも無いのです。後で出てきますが、お盆の棚経という習慣も江戸時代に『作られた』れたものですし、飾り方にしてもその雛形は『施餓鬼』という法要の形が流れ出したものなのです。
そして、施餓鬼の意味が換骨奪胎されつつ日本人の日常に馴染み溶け込み変化してきたのですね。その結果、日本人のほのぼのとした感性から「ご先祖様が(母さんが・・父さんが・・)帰ってくるから涼しげにお迎えしようネ」という形に落ち着いてきたのでありましょう。
ここには、早く楽に帰れるように乗り物を心配し、暑いときだから少しでも涼しく工夫し、口当たりの良いものを準備するという、 『思いやり 気配り いたわり』が潜んでいるように感じられます。私は、宗教行事云々というよりも一つの 『祭り・イベント』 として文化として、残し引き継いで欲しいと願っております。

 

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お盆の時期です D
8-NO3-89の続きですが、お盆の飾りつけは、『思いやり 気配り いたわり』の心情が底に流れていると申しました。するといろんな地域で様々な工夫がなされる用になります。勢いその土地で容易に手に入るものや日常の技が発揮された飾りになってくるのも当然でしょう。例えば、飾り壇や祭る台に敷くものは、炭俵や米俵を編む日常がある地域ですと、サトイモの茎や萱(かや)ススキを刈ってきてわざとザっくり編んで敷きますし、もっと簡便には大きなサトイモの葉っぱや蓮の葉を敷いたりします。その上に牛や馬を飾ると共に、飼料として「洗米+賽の目切りの茄子キュウリ」を置き、本命のお精霊様用の供物を飾ります。この 「洗米 + 賽の目切りの茄子キュウリ」 こそが『施餓鬼』の名残でして、本来は牛や馬の飼料ではなく、餓鬼に施す為の「水のこ」なんですね・・・!でもかえって親しみがあっていいと思いますが・・・・・。
そして「エ、なんでそんなことするの?」というものが出て来ます。それは、敷物の真上に一直線に竹か荒縄を渡し、季節の収穫物を先取りした、生姜・栗・柿・里芋・ホウズキなどを枝や茎をつけたままぶら下げることです。 ?これって「草葉のかげ」を思い出しませんか?このコトバの指す意味は「お墓」ですが、言葉自体のイメージは夏草に見え隠れする墓石の感じですよね・・。
こんな仕掛けを編み出したのも、お供えの意味と、ひさしのように囲んでお精霊様をあからさまに晒さないという意味と、上部を塞(ふさ)ぐような思いがない交ぜになっているのだと推測されます。

 

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お盆の時期です E
お盆の供養棚の続きです。さっき 『塞ぐ』と言いましたが、結局は 『結界』 の感覚に繋がってゆくのでしょう。年に一度のお盆は、日常では無い特別な「仏まつり」という3日間の祭りです。しかも、日常の生活空間である居間に、仏壇などの結界から移し出してきて祭るのですから、いくら懐かしい『故人やご先祖』でも、そこはどうしても一線を引いておく必要があります。 畏(おそ)れと崇敬(すうけい)です。
だからこそ日常と特異な時空を分ける結界が必要となるわけですね。すると、丁寧なお宅でなさる盆棚の四隅に頭だけ葉を残した女竹を立て、荒縄をまわし渡すことも、なるほどとお分かりいただけると思います。
故人様方をお仏壇から開放して俗世の日常にお迎えする為には、お精霊様もそっと穢れないように囲ってあげると同時に、我々も遠慮をしてお迎えしなければならないということなのです。
ところで皆さん、この荒縄に紙垂(しで)を垂らせばなんと、神事の結界となってしまうことにお気づきですか?なんとも日本人独特の感性ですネエ!! 神といい仏といいますが、理論や教義はそれとして私たち一般人は神も仏も両方ともご先祖に直結した『祖霊』という感覚で受け止められているのです。
『こだわりすぎず』 おおらかに受け入れてきた日本の先達たちの包容力を偲ぶにつけ、この頃の世の中の喧(やかま)しさにはうんざりいたしますが、お盆ぐらい私どもに根付いているこの『おおらかさ』に思いを馳(は)せてあやかりたいものです・・・・。

 

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お盆の時期です F
突然ですが『ガキボトケ』って聞いたことありますか?
これは一部地方の造語なんでしょうが、餓鬼と仏がくっついたものかと思われます。この二つは正反対のものですから一緒にくっつけられるわけがありません。しかし、お盆のお飾りの机の下に 「ガキボトケさんに影膳をする」 ということも行われているのです。この影膳をするかしないか?またしても良いか悪いか?と聞かれることがあります。その時には [ この盆棚はお寺で勤める『施餓鬼法要』の流れを汲むので、そこから「餓鬼」というコトバが広がり、苦しんでいるならかわいそうだからという心情から、影膳を置くようになったかと想像されます。しかし、お寺では法要中に餓鬼を呼んで供養するけど、必ず帰ってもらう儀式もセットなんです。ところが皆さんは餓鬼に供えても、この 帰ってもらう 儀式を務められません。すると必ず周りには「そんなことをしていると良くないことが・・・」と言ってくる人がいるものです・・・。困りますよね・・・。ですから、もし迷うのなら中途半端になさらず、ご先祖や故人の供養をねんごろになさり、且つ「どうか全てが 安らかに・・・と念じましょうヨ ] と答えています。世間にはいろんな方がいらっしゃいまして、親切に忠告をしてくださいます。みな微妙に食い違っていますよ、そのとおりに全部執り行うことは無理ですよね。
ですから、各ご家庭で無理のないように『家では実家でこうしていたからこんな感じでやろうか』という具合にお祭りし行けばいいのでは・・・・・・・?と思います。

 

8-NO7-93 
お盆の時期です G
お盆の締めくくりとして『送り盆』に触れておきます。 16日はご先祖さん方をお送りする日です。13日の夕方にお迎えしましたから、夕方に送るのが自然な流れなんでしょうが、町内会ではほぼ午前中に「お盆セット一式」を所定の場所に集積して処理するようになりました。一昔前のように川や海に流してしまうなんてことは「環境汚染そのもの」になってしまいますから、様変わりをするものです。こんなところにも時と共に変わってゆく営みが仏事にも反映されてゆくことがわかります。
さて、私の住む山寺の田舎では、屋敷の前に青竹を3本組んで皿を置いた上で迎え火を焚き、お盆中は毎晩焚きますが、最後の16日の夕刻には、その青竹を送り火の火で燃やしてしまうのです。
青竹ですから、当然「ポーン 々 」とハゼますね。それが暮れなずむ谷あいにあちらこちらから響くのです。8月の16日ごろになりますと萩は満開ですし、ススキが穂を出し初めどことなく秋の気配が出始める頃です。言うにいわれぬ風情ですよ・・・・・・・・。そこで下手な一句を・・・・
ハギ散らし 送り火の音 遠ざかり

 

8-NO8-94 
お盆の時期です 8月盆が始まりました!
 この「仏事こぼれ話」の連載が平成20年7月20日に開始されて以来、書き続けているわけですが、今日が8月2日でして、ちょうど昨日から8月盆の棚経が始まりました。本日も、お邪魔したお宅の中で、さまざまなお尋ねをいただきましたが、その中に
○釜の口が開くと聞きましたがなんのことですか?
○縁側に提灯を掛けますが、そこから故人が帰ってくるって本当ですか?
という件がありましたので、8-NO3-89 ~ 8-NO7-93で書きました「お盆のこと」の追加として記します。
▽ 釜の口が開く ということ?
 その方がお住まいの地区では 「初盆の仏さんは特別で、1日から『釜の口が開いて』帰ってくるから、迎え火を毎日焚くんだよ」 といわれ、どうしたものか?と迷っていらしたのです。 
これを考える時、もっとも大切なことは正誤を云々してはいけないということではないでしょうか。そこをしっかり押さえてから、さっきの内容を点検いたしますと、2重の混同が見えると思います。
一つは「釜の口」は「地獄の釜」のことでしょうから、そこから帰ってくるということは、とりもなおさず故人は「地獄から戻る」ことになってしまいます。 これはイヤでしょう! また決して認めたくありませんね。
二つ目は「迎え火を1日から焚く」ということです。お盆は13日の迎え火が一般的です。たまたま、初盆のお宅には近隣縁者のお参りが早くからあるので便宜的に13日からの支度を先取りして一日から用意してあるだけですので、2週間も迎え火を焚き続けることには無理が生じますよね・・・。
つまり、『盆と正月の2回の薮入り』と「お盆にはさすがに年に一回だけ、地獄の釜の蓋も開く」という噂が混同され、加えるに「初盆の故人は特別早く帰るんだから、迷わぬように目印の迎え火を・・・」という想いが混じりあって出てきた慣わしかと思われます。おおらかに見れば、思いやりがチョっと行過ぎたかな?というところでしょうか・・・?

 

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お盆の時期です I 縁側に提灯を掛けること
 ○縁側に提灯を掛けますが、そこから故人が帰ってくるって本当ですか?
▽さて、お盆に欠かせない大事なアイテムに 提灯 があります。これも日本の風土が育んだ味わい深い照明器具ですが、各地に特徴的な様々な形があるようです。よく耳にいたしますのは 岐阜提灯/八女提灯 であり、お盆によく用いられるようです。但し、吊るしたり置いたりと色々な組み合わせがありますが、こうしなければいけない!ということは決してありませんから安心してください。
要は『故人やご先祖が迷わないように』という想いから出たことであり、同時に提灯の風情や情緒がもたらした、大きな意味での『祭り』を盛り上げ充実させるアイテムだということでしょうね・・。
さて、縁側の軒下に掛ける提灯のことですが例えば、お葬式の時の風習に、同じ道を帰らない とか 玄関からは送り出さない ということがありますね。?なぜ? でしょうか・・・・。
答えは「日常では絶対にあってはならないから!」 普段とは違う行動様式を用いるということです。誰でも葬儀という不幸が、日常しょっちゅう起こっていたのではたまりません。しかし認めたくないけど、別れを受け入れなくては!という思いが、日常とかけ離れた、特別な行動規範を用いることで、いつもとは切り離した『非日常』という世界に受け入れがたいコトを閉じ込めてしまうという智恵だということです。
同様に、お盆に戻る故人は、いくら懐かしく大事な方でも、日常の正面玄関からお帰りいただくのではなく『特別な出入り口の縁側』が用意され、しかも迷わない目印として掛かられたということなのです。

 

8-NO10-96 
お盆の時期です J 釜の蓋 補足
 ところで、地獄の付くことわざと、極楽の付く諺とどっちが多いと思われます?誰もが嫌いではないはずの「極楽」ではなく、みんながイヤがる「地獄」の方が多いようです。
不思議ですよね・・・?というか、「地獄」に象徴されるような世の中を身近に「直感的に・体感的に」嗅ぎ取っていることの裏返しのように想像されます・・・。 △地獄の沙汰も・・・ △地獄に仏  △地獄の釜の蓋が開く  など々、確かに 生きる コトはいつでも大変なことの方が多い訳です。だからこそ時折の『極楽・・・ごくらく・・』という至福の一瞬が生きてくるんでしょうけど・・・・・・。
そんな世の中で8-NO 8-94で書きました「釜の蓋」のことは、あるなし・うそホントは別にして、「地獄でさえ盆の16日と正月には過酷な責め苦から一時開放される」だから、奉公人も嫁ぎ先の奥さんも休みをもらって実家に帰ることができる!という『薮入り』の習慣が重なっていたんでしょうね。
仏教と一口にいっても、長い歴史の中で様々な習慣や習俗や伝承という文化と融合して参りました。目の前の現象は必ずその奥底に流れる熱い『想い』や純粋な『心情』に由来しています。お盆にまつわるいろんな言い伝えや、やり方も 故人を 想う一念に由来していることに思いを致し、おおらかに受け止めてゆきたいですね・・・・・・・。

 

8-NO11-97 
お盆の時期です K お盆の まとめ
 色々申しましたが、私が「お盆」に関して色々聞かれたりした最後に申し添えることがあります。
▽ 皆さん、お盆のお供えもこのようにナスやキュウリから新幹線にまで変化して来ました。しかしいつも
申しますが「コレ以外は間違いだ!という 『供養』 のやり方というものはないのですね、みんなそのおウチの家風と言うか、母から娘に受け継がれた流れが嫁ぎ先で更に融合変化して形をとっているものです。
そしてこれを覆う大きな意味での日本文化と、中間的な地域の習慣が影響をしてきます。
想いますに、日本人の感性に流れる「思いやり・つつしみ・恥」というものが、直系の故人にとどまらず「不幸な数々のみ霊よ安らかに・・・」という願いや祈りが鎮魂の意味を込めて、盆踊りや花火という行事に繋がってゆくのではないでしょうか。同時に 祭り という節目を設けて身も心も(身も霊も)リフレッシュしようという大きな智恵でもあるのです・・・・。
お盆だからどうしても「お経」をあげなくちゃ成仏しない! と堅苦しくならないで、 お孫さん共々に夏の風物詩・イベントの感覚で 『なむ 々 しようね』 というふれ合いを大事にしていただければと願いますよ・・・・・ と 。
    

 

 

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