静岡市・吉祥寺の中野住職が語る「葬式、法要(初七日、四十九日、初盆、新盆)、供養、納骨、お墓、一周忌、三回忌などの仏事のこぼれ100話」でタグ「分骨」が付けられているもの


jyusyoku_kaku.jpg(まとめ04)静岡市吉祥寺の中野住職が語る「仏事のこぼれ100話」--4--お墓(墓地)と分骨/位牌など

静岡市吉祥寺(http://www.kitijyouji.jp/)の中野住職が語る「仏事のこぼれ100話」です。
富士山の見えるお墓,樹木葬,海洋葬,葬式,守り本尊,戒名,法要,初七日,四十九日,初盆,新盆,供養,納骨,お墓,一周忌,三回忌など、
身近な仏事から役立つこぼれ話を選んでみました。
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4お墓(墓地)と分骨/位牌など

 

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お仏壇の前の扉
ところで皆さん、お仏壇はいつでも前の扉を開けておいていいんでしょうか?
中には「ご不幸があった時は49日の忌みが明けるまでは神棚と一緒に閉めるもんだ!」とか、「お盆中は閉めておくものだよ!」とか、「夕方閉めて朝起きたら開けるもんだ!」とか言いますね。どう考えればいいのでしょう?
はっきり申しまして『習慣やクセ』に還元されてしまう・・・・、と言ってよろしいかと思いますね。理屈というやつは、必ずつきもので、ナンとでも理屈をつけられますから・・・・・。
ただ『仏まつり』の世界では 『畏れと崇敬』 という感情が奥底にあり、同時に八百万の神様に対する『浄と不浄』の感覚が引き継がれ、流れていますからその両方が混ざり合い・干渉しあっていろんなやり用が発生したんだと思われます。
少し申し添えたいことは、一般的には仏壇は本尊様が真ん中にありますから、いつでも開けておいてかまいませんし、浄不浄に左右されることもありえません。しかし日常に溶け込んだお仏壇となりますとついつい日本人的感覚で『夜は戸を閉め、不幸の時も周りの喧騒でうるさいと申し訳ないから閉める』という方向を向くことはありうることかと思われます。
因みに私の雲水時代に老師から言い渡されたことは、老師の奥の間の31箇所に祭られた、いろんな故人や佛菩薩に毎朝4時にお茶を上げ、夕方5時ごろお水に替えることでした。
面倒でしたよ!!急いでいるときなんかにこぼしたり割ったりという粗相をしたらそりゃエライことでした。
『親切心が無い』と叱られましたから、時折老師が泊りがけで留守になる時はホク々してましたねえ・・・。
なぜかというと 手抜き ができたからですが・・・、懐かしい思い出です。
余談になりましたけど、あまり神経質にならず各ご家庭の事情に任せて、お年寄りがいらっしゃればお好きなように任せたらどうでしょうかね?

 

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お供え
続いてお供えのことですが、私どもはご葬儀のあと、翌々日くらいに、葬家にお邪魔して不安や疑問にお答えすることにしております。
そんな中で、白木のお膳を3度三度新しく換えなければいけないと聞き間違えていた方も居られました。
ご葬儀という特殊な状況下では、そりゃあみんな真っ白になりますよ。業者さんの説明を聞き間違えることぐらい当たり前でしょうし、思い込んでしまうこともしょうがないですね。
さっきの白木のお膳を49日まで、毎日々お供えできたらこれは丁寧で何よりでしょうが、仕事をお持ちの方を含めて余り負担が大きいことはかえってお気持ちに障りますから、七日ごととか、ゆとりのある時にお供えなさったらいかがでしょう?
また、ある時お話している中で「あのう、お供えは何時まであげておけばいいでしょうか?」と聞かれ、祭壇を見ると立派な「世界一」という大きな梨がありました。
「そうですよね、迷いますよね。せっかくお供え用に届けてくださった方のことを思えば、なるべく長く供えておいてあげたくなりますネ。でも、傷んでしまってはこれも困ります。 どうでしょう、『賞味期限』を考えません?
これなら仏さんも納得してくれますよ、また、朝必ずご飯を炊くとは限りませんし、お茶を夕方まで上げておくと夏なんか臭ってきますからねえ。
どうぞ、痛まないうちに 『お供物をおすそ分けしてもらいましょ・・』 というふうに、いただいてくださいませ。」
と申し上げた次第でした。 いかがでしょう?

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など A お墓(墓地)の歴史1
 3-NO1-25からNO10-34の中で、故人を送る方法、いわゆる 葬法 をお話し、特に現代版の 自然葬 について書いてきましたが、今度は『お墓・墓地』について書きますが、これからの話をご覧になればきっとお墓に対する 迷いや思い込み がお楽になると信じます。
3-NO 9-33でも書きました、TVや書籍で『建墓と供養と悪しきこと』が必ず連動しているようなことを繰り返し発言している方には少し控えていた頂たいと感じます、これほど無責任なことはありません。
先ずは私たちの先祖が人類発祥以来どのように 故人 を葬って来たかをしっかりと振り返ることからはじめましょう。 小学校の教科書にもありますが、ネアンデルタール人が死者に花を供えたことが花粉の化石から確認されています。今から6万年ほど前だということです。
我々新人類ホモサピエンスとは違う旧人類に分類されるネアンデルタール人ですが、ヒトに相違はありません。つまり故人に対しての 想い がはっきりと共通しているのですね。しかし人類発祥からこの新人類が確認される250万年~5万年ごろまでは発掘される状況からみて、埋葬に関しては死者と生者の区別はあいまいであったと推測されるようです。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など A お墓(墓地)の歴史2
 さて日本ではどうでしょうか? わが国において縄文時代以前の旧石器時代は、無土器時代とも呼ばれています。ちょうど氷河期と重なっていて約1万6千年以前とされているようですが、洞窟や岩陰で暮らすという長い狩猟採集生活の後期には大阪府藤井寺市の はさみ山遺跡 のような竪穴式の暮らしも出てきたようで、それに伴い住居近くに 墓坑(ぼこう) が発見されています。
縄文時代に入ると上記の 土坑墓 に甕が散見されたりしますが、基本的には住居近くに浅い穴を掘り
遺体を屈めて埋めたようです。中には石を抱えているものも出土していてこれなどは「死者が甦らないように」という呪術的意味があるとされています。
この 屈葬 ですが『省力化』という側面があると指摘もされていて なるほど! と思いました。
次の弥生時代に入ると 伸展葬 といわれる身体を伸ばしたままの埋葬が増えてゆくようです。
同時にこの頃から、意図的に分離された 墓所 という意識が明確になって行き、死者の暮すべき あの世
と現世の この世 という『場と時』の観念がはっきりとしてきたと思われます。
つまりは、死者の魂や来世を考えるといった抽象的な思考力が発生してきたことの証拠であり、いよいよ『観念の世界、想像の世界、幻想の世界』に足を踏み入れたということになります!

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など A お墓(墓地)の歴史3
 弥生時代以降ははっきりと『階級社会』が形作られてゆくわけですが、とうぜん庶民と権力者とは葬送も、埋葬墓も違うことになります。大和朝廷を筆頭にした『古墳』に象徴される墳墓に関してははっきりしていますが、数では圧倒的に多いはずの庶民はどうしていたのかは未だしっかりした文献を見ておりません。 しかし岩田重則 著 「 お墓の誕生 」という岩波新書の中には 埋葬という土葬であった という意味の記述がありますので、およそは日常から切り分けられた各地域ごとの墓所に簡単に埋葬していたと推測されます。
考えようによっては古墳時代以前の、貧富の差がべらぼうではなくて、長が束ねる小集団ごとの埋葬であった弥生・縄文の時代のほうが、より懇ろに埋葬できたのかもしれません・・・・・・?
少なくとも、仏教が伝来してからでも限られた権力者以外は、弥生以来の埋葬である遺体のままでの土葬がごく 々 一般的であったと推測して間違いは無いでしょう。
勿論地域的な違いはあるでしょうし、『化野』的な 風葬 もあったことと思われます。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など A お墓(墓地)の歴史 4
 古墳時代を過ぎ飛鳥(聖徳太子・大化の改新645)~奈良(平城遷都710大仏開眼754)~平安(平安遷都794)~鎌倉(幕府1192)~室町~安土桃山を通じて一般庶民に関しては土葬や風葬であったとされ、メモリーとしての墓石や戒名、仏壇や位牌といったアイテムは特別にはなかったとされています。 ただし仏教伝来以来鎌倉期に花開いた多様な各宗派の布教行脚により、日本各地に仏教的思考風習のようなものが形作られ根付き、中央から地方へと伝播する文化情報とあいまって徐々に日本風の葬送や埋葬の形の『下ごしらえ』は進んでいったと想像されます。
ところで、個人的に調べておきたいと思っていることは、棺の変遷です。権力者に関してはほぼ解るのですが、庶民はどうなっていったのか? 土葬はほとんどが 座棺 であり火葬が 座棺か寝棺 なんですが、庶民が使い始めるのが何時ごろからなのか?
また伸展葬になったにも拘わらず、再び 座棺 に戻っているところなどでしょうか・・・。いずれにしましても、日常と区分けされた『墓地』はあったのですが『墓石や墓標』はなかったようで、江戸を待たねば『お寺=墓地=墓石=戒名/位牌/仏壇』の形は無いということ押さえておけば宜しいかと思います。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など A お墓(墓地)の歴史 5
 ざっとおさらいしておきますと、1603年に江戸幕府が始まり1614年1615年には大阪冬と夏の陣があり、1616年家康が没し1637年から1638年の島原の乱を契機にして1641年には長崎の出島だけが外国との窓口となり鎖国が完成しました。そして<1664年に『寺請制度』>ができ、ここに現在の日本仏教の原型が生まれたのです。 これは 『テラウケ制度』 と読むわけですが、仏教徒として必ずどこかの寺院の檀家であることの証明を強要する制度で、いわゆる『檀家制度』ということになります。
これによって日本全国津々浦々、どの家も必ず『檀家』となっていて 宗門人別帖 に載せられたのです。
とうぜん 信教の自由も宗派の変更も一切通用しません。先祖代々ずーっと同じ寺と同じ墓地に縛り付けられるようになり、『お寺=墓地=墓石=戒名/位牌/仏壇』の形が出来上がりました。
これらの仏事必須用品は勿論ピンからキリまで様々なアイテムが用いられたわけですが、お墓に関しては庶民は土葬ですから、座棺で埋葬し、盛った土が沈んで落ち着いたら 一人ひとり に簡単な墓石を乗っけていたのです。今日見慣れた ○○家之墓 という形.は日本中何処にもありません!!

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など A お墓(墓地)の歴史 6
 皆さん、私たちは見慣れた今の『墓石』が大昔からあったものに違いない!となんとなく思い込んでいましたが、こうやって振り返ってくれば次のことがはっきりと理解できると思います。
◎ 土葬だから、カロウト式の墓石は無意味で不要であったこと
◎ 同じく、場所だけはカロウト式と違い 広い面積 の確保が必要であった
◎ 同じく、一人ずつ小ぶりな石のメモリーが置かれたが、各地区と家の状況からいろんなグレードがあった。
◎ 同じく、墓石に刻まれるとしたら 戒名 であり、△△家という『家』の名前はあり得なかった。
いかがでしょう?檀家制度が1664年にできて以来、明治8年以降の火葬の微増を待つまでは、日本全国の一般庶民は現代の カロウト式墓石 とは全く無縁であったのです! 即ち、今の墓石は 『火葬の普及』 と密接に関連しているのですね。 明治以後の富国強兵殖産興業の方針の下、都市部への集中が始まりますと当然衛生管理が大きく問題化しますし、土地自体が物理的に不足をきたして参ります。
そこに 火葬 が普及し始め、同時に西洋の合理的唯物的見方があいまって、焼骨は骨壷に収納されて
カロウトの中に集約されることとなったのです。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など A お墓(墓地)の歴史 7
 このように一人ひとりの土葬から一箇所に焼骨が収納される変化に伴って、カロウトの上に載る棹石も自動的に変化し、個人個人の戒名は棹石の横や裏か又は墓誌に刻まれ、正面には ○○家之墓 とか △△家先祖代々 などの文字が刻まれるようになりました。
因みに 火葬率 が50%を超えるのが 昭和25年1950年で、58年前となります。
ところで皆さんもご記憶にあるかと思いますが、かつての土葬墓地の中には、うっそうと茂った木々に囲まれて傾き苔むした大小の墓石があり、中にはまだ丸く盛られた小山のような土饅頭がありました。
私は母親から貰うお駄賃が欲しくて、小学校低学年の頃(昭和30年前半)怖かったけれど水桶を持ってそんな雰囲気の墓参りによく行ったことが忘れられません。この思い出は信州にいたときのことですが、火葬普及がまだだったということですね。 更に中学生になり(昭和40年)三重県の四日市市郊外にいた時です。田んぼに囲まれた墓地の一角で隣組の人が薪を積み火葬を行っている光景を初めて見たのですが、遠くからとはいえ強烈な印象が忘れられません。
その後火葬は市区町村単位で重油のボイラーと共に徐々に普及し、それに伴って カロウト式墓地 が
広まってゆくこととなったのです。即ち、今の見慣れた墓石が常識化してきたのはわずかこの『半世紀、50年』に過ぎないのです!!

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など B お墓(墓地)の色々 1
 さてカロウトの上に載っている石の一番トップを 棹石 と呼びますが、随分といろんな形を目にするようになりました。 因みに復習しておくと カロウト式焼骨集合墓 が盛んになるのが昭和40年(1965)半ば以後ですから、今から数えて約40年前くらいですね、余裕をとっても『よく見かける』ようになってから今日までせいぜい 50年 足らずなのです!!
そして最初の縦長の四角柱の中に横型が混じるようになり、次に横型が変化してゴルフ関係の置物とか野球関係や釣り登山関係などの形が出て参りました。
また、それに伴い ○○家之墓 とか △△家先祖代々 を刻む替わりに、故人を偲ぶコトバや故人の遺言、はたまた日記までも刻まれています。更に昨今では技術の発展もあって遺影写真も彫られています!!
最初の土葬時を振り返りますとその変容の速さと共に、バブル(1986 S61~1991 H3))以後の墓石の メモリー化 という変化がたかだか十五年程前に過ぎないのに常識化してきていることも驚きです。
私たちはよく『昔からズーっとこうやって来た』と言いますが、結構いい加減ですよね・・・。
また墓相学なるものがありますが、このように墓石自体が変化変容し、墓地という場所の不足と値段の問題を抱えている現在では限りなく無意味になってきたように思えます・・・・。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など B お墓(墓地)の色々 2
 ところで、一般庶民が江戸期の檀家制度発生に伴い、戒名を刻んだ墓石には次のような意味が込められていました。
△ お釈迦様のお舎利(お骨)さんを分骨して祭った ストゥーパ が五輪の塔になり、五輪の塔が墓石へと変化し塔婆になって行きますが、『ストゥーパ~墓石=お釈迦さんの教え』という印象から導かれる『お釈迦さんの教えにつつまれて、成仏し安らかに旅立つお守り』という意味ですね。
土葬ですから当然一人ひとりに必要になってくるという訳です。同時に日本人の死生観から出てくる『鎮める』ための意味もあったのです。 ところが カロウト式焼骨集合墓 が一般化し始めた50年前からは逆に上記の『釈迦の教えに守られて』の部分だけが薄れ始め、故人の為のメモリーと安らかな旅立ち、なおかつ迷わず戻ってこない為の 鎮め としての置物形式・メモリー的になってきたのです。
これは 良いか悪いか の問題ではなく、文化習慣という常識世界の変化ですから、どうしようもありません。
かような状況になりますと<それは間違っている!正式じゃない!成仏できないぞ!悪いことがおきるぞ!>という方が必ず出てきますが、既に見てきたように 『コレ以外は間違いだ!』 というような埋葬の仕方があるわけではないのですから 愚かな遠吠え としか言いようがありません・・・・。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など B お墓(墓地)の色々 3
 ところで皆さん、墓石に 赤色 が一字入っているものをご覧になったことがありますでしょう?これは 生前に戒名 を持っている方が墓石を建立して彫り込んだ場合に、その戒名の中の一字に朱を入れたものです。 朱を入れる意味は誤解や間違いを起こさないためですが、そこはそのナニがありましてやはり 縁起 を担ぐという面も否めません・・・・。
 ところで生前の建墓のことを 『壽陵』 とも言いますが決して生前建墓は不吉なのではなくて、逆にそれだけのチカラがあるということでもあり、後の者を煩わせない意味もあり、生前に戒名を持ち覚悟が定まった生き様が可能であるというプラス面での捉え方でこう呼ばれるのですね。
生前に戒名?と思われるかもしれませんが、このHPの『守り本尊と戒名』を開いて確めてみてください・・・。
ところがまたまた変化がでてきているのです!
建墓しますと多くの場合棹石の裏に 建立年月日と建立者の名前を入れますが、何処でどう間違えたのかこの『建立者』の名前に朱を入れるのです!? 発注した施主が石屋さんに強く言ったのか?または石屋が何かの加減で朱を入れたものか?どちらかでしょうが、お参りに来て一度それを目にすれば『アレこうなんだ?!』という感じで、必ず広まり『常識化』してゆくと想像されますが、常識も所詮この辺りが出発点なのかと思うと、 面白いというかヒトの性というか、ナンとも・・・・・・・

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など B お墓(墓地)の色々 4 正統派?
 4-NO3-37からここまで お墓・墓地 に関して書いてきましたが、いろんな変遷が続く中で火葬後のお骨を収納する『正当派の墓地』ってあるのか?という疑問も出てくると思います。
これは大変微妙でして、いつも申します 供養にカタチは無いこと や今まで見てきた墓地の変化を考慮すると『正統派』ということは無くなってしまうのですね・・。
しかしそこはまたヒトの人たるところでして、ついつい何かあるだろう?というのも人情ですよね?
さて、皆さんはたぶん墓参りの折に、カロウト式ではなくて、五輪の塔が向って右にあり、その左の空き地の小ぶりな墓石に戒名が刻まれているお墓を見て「あれ何か変わってる!」と感じられたことがあるんじゃないでしょうか? 実はこの五輪塔の下には何もなくて、一人ずつ建った墓石の下に磁器の骨壷から出して、白い布とか素焼きの壷に移したお骨が埋葬してあるのです。 いわゆる土に還るという埋葬方法ですね。
そしてこの五輪塔はお釈迦様のみ教えであり、故人は戒名を刻んだ墓石と共に二重の意味でお釈迦さんのみ教えと慈しみに包まれることになります。その上遺族にとっては『鎮め』の感覚も満足されることとなります。当に土葬と火葬が習合した伝統的埋葬法というわけです!
ただし、この方法を取ろうとすると、お参りする私たちの体格に合わせた穏当な寸法を考えた場合、墓地としての敷地は少なくとも1間四方の一坪(3.3㎡・畳2枚ほど)は最低限欲しいですね。今日の墓地事情を考えますとなかなか難しい面もありましょうか?

 

4-NO 14-48
お墓(墓地)と分骨/位牌など C 分骨や位牌/仏壇など 1 分骨
 前にも書いていますが、お釈迦さまのお骨は 八つ に分けられてインド各地に分祀され、記念の供養塔である ストゥーパ が建てられたことはご存知の通りです。 
ところで、恐らく静岡近辺が境かな?と感じられますが 『分骨』 に対する想いに随分と違いを見ることができます。 名古屋以西では 分骨 は日常的で、主に喉仏を お舎利さん といって仏壇の引き戸の奥に祭ります。ところが名古屋から東京に近づくと「エ!なにソレ?」という雰囲気に変わってくるのです。しかも、火葬後に渡されるお骨の量にも大きな違いがあるんです!名古屋以西になると骨壷は二回りほど小さいものになってしまうので、関東圏から収骨立ち会った人は「アレ!」と驚いてしまうのですね。
しかし、所変わればといいますがJRの乗換えでエスカレーターに乗ると、東京とは正反対の左が『早歩き』の決まりになっていますから、私は大いに戸惑ったことを思い出します。
「アンタの常識アタシの非常識」ではないですが、特別な理由な無くても なんとなく というしきたりとか、慣習は地域によって独特のものが育って根付いてゆくようですね。
このような 分骨 や お骨上げ の事例一つをとっても『供養や仏事』には カタチはない! ということが改めてご理解いただけるものと思いますがいかがでしょう?

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など C 分骨や位牌/仏壇など 2 分骨位牌
 さて、このように 分骨 は悪いことでもないし忌むべきことでもないことが解ってきますと大いにいろんな事が考えられると思います。 今日では「長男だから、長女だから家をとらなければならない!」ということはほとんど消えかかっていますし、どの子であれ必ず生まれ故郷に定住できる状況でもなくなってしまいました。
すると、自分たちのお墓を今住むところに欲しくても、後を見てもらえません。また、『老後』の状況次第では不本意でも子供たちのところに行かざるを得ない!という 想定外 も起こりかねません。 このように
△ お墓を造っても後を見てもらえない/遠くてお参りが大変という方や、
△ 年齢や体調や住む場所に振り回されず、いつでも『手元、身近』で供養したいというような方には、
それこそ手近に 分骨 をお祭りすれば 『お墓があっても無くても/遠くても近くても/自然葬に附しても』 安心して 手元供養 が実現できます!そこで方法ですが、従来のような 喉仏の分骨 という大仰なことにせずに、
○ 一見しても そのものズバリ という生々しい形ではなく、しかし個別に識別できること
○ 従来の位牌の形を崩さないでしかも 10霊分 納められること、という条件の『分骨を収納できる位牌』を考案し、提案することになったのです。
従来の分骨は当にソノままですから、代替わりするともはや何の情感も共有できずに只の『異物』という感覚にさえなってしまいます。また人は お参りできないことが重なったり、永代供養や自然葬の方法を選んだりすると、なんとなく 『後ろめたさ』 のような感じを抱いてしますものですよね・・・・。
その解消に 静岡 吉祥寺 の企画提案いたします『分骨収納位牌』はお役に立っているわけです。 

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など C 分骨や位牌/仏壇など 3分骨収納位牌
 今回 静岡 吉祥寺 が考案し「実用新案登録」された分骨収納位牌が喜ばれる訳は、外見が全く普通の位牌と変わらないことでしょう。
そして位牌の裏がスライドして窪みが現れ、そこにご遺骨のホンの少しをラミネートでパッキングして、筆書きされた故人様の戒名等が10霊納められるという機能と合理性が備わっているゆえかと思います。
戒名は位牌の表に二霊書けますが、先祖代々と書いておけば二霊を越えても大丈夫ですね。また、子供が娘さんだけで皆嫁いだというような場合には、お墓を整理してこの分骨収納位牌を嫁ぎ先のお仏壇かお部屋に祭れば何の心配もありません。
しかし嫁ぎ先が仏教系ではないお宅だったら分骨収納位牌を祭るという訳には行きません!ところがです、故人様の写真が使えるのです!お二人の写真に少量の分骨をパッキングしてポートレレイトのように飾れば何の違和感も発生しませんから、こんないいことは無いのですね・・・。
また、パッキングしたものを『お守り袋』にしまっていらっしゃる方もございますから、分骨収納位牌のみというのではなく、いろんな手元供養や安心のカタチが可能だということになります。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など C 分骨や位牌/仏壇など 4 大丈夫?
 前回「嫁ぎ先のお仏壇に自分の親の分骨収納位牌を祭る」といいましたが、『姓が違う他家の位牌を祭ると仏さん同士が喧嘩をする』と主張する人がいるのです!皆さんはいかがでしょう?
今までは『仏壇は本堂を小さくしたもの』と言われていましたので『中央に本尊様、左右に位牌』というスタイルはどの宗派でも共通ですが、その他の部分では各宗派によってかなり厳密に祭り方は決まっていましたので、先の『ケンカする』という原因は『各宗派の違い』から派生したものかと想像されます。
しかしどんな宗派でも 大元はお釈迦様 ですし目指す頂上は一緒です。しかも、どの宗派で葬儀を済ませても、故人は『仏の道を歩いているコト』になっているのですから、我ら俗人とはレベルが違っていなければなりません! もしそんな方々が『いさかい』をしているのなら、ソレこそ『成仏』どころではなくなって、たちまち『地獄行き』となってしまいますよね!ですから、決して喧嘩をする訳がありませんよ!
大事な故人や放っておけない身内の方がいるのに『お前は嫁に来たんだから、お前の家系は祭ってはいけない』と締め出されたらこんな切ないことはありません。
お釈迦さんの教えがそんな狭いものであるもんですか!!どうぞ、安心してください。
ただし、謙譲の美徳と申しますか、気は心ですから祭る時は夫の家の位牌より小ぶりにしましょう・・・・。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など C 分骨や位牌/仏壇など 5 注意!
 さて、墓石の変遷をみてきましたが、仏壇に関しても昔の厳密さは薄れてきています。
何宗はこうだ!とか正面には必ずご本尊が無ければ!という締め付けが弱まり、先祖や大切な故人の位牌を祭るためのものに変化し始めています。 俗に 家具調仏壇や位牌 という流れです。住宅事情などを勘案すればお仏壇の昔からのカタチは変化せざるを得ませんでしょうから、分骨収納位牌や分骨の写真へのパッキングなどを含めて、各ご事情に応じて一番安心と納得のできる方法が必要でしょう。そしてどんな方法でもそれが故人様の成仏に差し支えるというようなことは決してありませんのでどうかご安心ください。
次に、お墓を建てる時に時折あるようですが、仲の良い兄弟が一緒にお金を出し合って立派なものを建て、兄弟の家族が仲良く使いましょう!ということが行われる場合があります。
しかしこれだけは !だめ! ですね・・・。
今はいいのですが、従弟の代になり次にはとこの代になったらえらいことになってしまいます。それに、将来それぞれの家族がお参りできるような場所に住んでいるとも限りませんし、ヒト同士のお付き合いですから微妙な行き違いからなにが起きるかわかりません・・・。  お墓だけは 『一軒一基』 が大原則です。
但し共同使用がまずいだけですから、子供達がご両親の供養の為に心から費用を出すよ、ということでそのお墓の守をする立場のどなたかを援助なさる分には一向にかまいません。

 

4-NO19-53
お墓(墓地)と分骨/位牌など C 分骨や位牌/仏壇など 6 納骨の色々
 これまで 自然葬~お墓・墓地~分骨収納位牌~仏壇まで書いてきましたが、納骨には他にも選択肢がございます。いわゆる 『永代供養』 というものです。
しかし従来の永代供養は印象が暗く、何か引っかかる感じが否めませんでしたが、その原因は
○ お墓を建てられない人が利用する?  ○ 経済的に大変な人が利用する?
○ 身寄りに無い人のためのもの?     ○ 故人を粗末にするのでは?
というような風潮が根強くあった為だったと想像されます。しかし、このブログを読んでくださっていればそんなことは愚かしい考えだとご理解いただけるのですが、原点や歴史や意義をなかなか知る機会が無いのですから、なんとなくの風潮に流れるのも無理からぬことかもしれません。でも、少なくとも浄土宗や浄土真宗の方はご本山にほとんどの場合ご分骨を納めますし、身延山にも高野山にも永平寺さんにも分骨や本体を納める方は結構いるのですからどうぞご安心ください。
さて、今までの 永代供養 といえば分骨であれ本体全部であれ納めたら二度と返却はされないし、結構な金額でもありました。(¥50万以上)
そこで 静岡 吉祥寺 では全く発想を変えて以下の選択肢を提案しています。
※ 1 直ちに供養塔か百年樹へ納める方は ¥10万円(静岡市のサービスと同額) 
※ 2 お寺そのものを 『お墓の替わり』 とし、10年単位で使用する方法。
10年¥15万/20年¥25万/30年¥35万 です。
    出し入れは自由ですし、複数霊の時の費用はその都度対応しています。
これに分骨収納位牌を併用なされば時間も距離も消えてしまいますから安心ですね・・・。かような方法が選択できますと、将来お墓を建てることになっても対応できますし、何よりも精神的な後ろめたさのようなものが一切なくなることが喜ばれるというわけです。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など C 分骨や位牌/仏壇など 7 納骨はいつ?
 何時のころからか葬儀が済んだらその日に納骨をすることが当たり前になっていますが、これは土葬という遺体の埋葬方法が火葬に切り替わっても、そのまま受け継がれた習慣がもたらしたものでしょう。
これも 「墓地があってしかも自宅の近く」 という条件が当たり前だった時には有効でした。しかし社会の変化と共にこれだけでは物理的に不可能になってきています。墓地の時にも書きましたが、墓を建てることはなかなか難しいものがあるのですね。 そこで 静岡 吉祥寺 では
※ 仏事はあわてちゃいけません!私たちからじっくり情報を聞いてください
※ 少なくても49日の忌明けまでは自宅でしっかりとお祭りしお声をかけてやってください
※ 一周忌まではご自宅にお祭りしておいてなんら差し支えないですよ
とお伝えしています。 ご親戚始め周りの方は大変 親切 にお世話を焼いてくれますが、お金の世話までは決してしてくれるものではありません。
心身共にショックの大きい遺族にたいしては矢継ぎ早に「ああした方が、こうした方が・・・」ということは控え、聞かれぬ限りそっと見守ってやって欲しいものです。あわてると取り返しが付かないのが仏事一般でして、先にも書いていますが、特に寺院の墓地を取得して檀家になればもうそれで身動きできなくなってしまいます。
また『自宅に祭っておくと良くないことが・・・』と世話を焼く人がいますが、これも全く根拠はありません!しいて言うならば、身近に遺影やお骨を置くことによって気持ちが引っ張られすぎて日常に戻れない人にとっては、長く祭ることはマイナスですが、その時にはきちっと対処すればいいことですね・・・。

 

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お墓(墓地)と分骨/位牌など C 分骨や位牌/仏壇など 8 供花のこと
 最近の墓参りをしていて『造花』が目に付くようになりました。技術の進歩でしょうねえ、その精巧な細工はチョット見には本物と全く判らないものさえあるのです。
花のほかにも樒(しきみ)も榊(さかき)もありまして、紫外線や雨風に劣化しないようにコーティングを施すものもあります。お盆の飾りであるナスの牛にキュウリの馬が新幹線やスペースシャトルになっているケースもあるのですから、このような変化も当然なのでしょう・・・・・・・。
しかし、未だに怒り出す住職もいますから気をつけてくださいませ!また住職だけでなくお参りする人の中にも疑問を感じ「方丈さん、生花でなくてもいいのかねえ?なんか粗末にしているように見えて、手抜きといわれそうだよ・・・」と聞いてくる人もいます。考えてみますと、4-NO3-37でも書きましたが故人にお花を供えるという行為は、ネアンデルタール人もしていたわけですし、人として自然の発意であり厚情の証でもあります。
檀家制度が始まり土葬が広まったころには今のような専門の花屋さんなんかないですから、手近な花を摘み樒を手折ってそなえたものでしょう・・・。今は季節のものであろうが無かろうが、お花屋さんから気に入ったものを購入してお供えしますが、改めて見直せば逆にこっちの方こそ「本末転倒」といわれるかもしれません!
要するに『供養にカタチは無い!』のですから、より広い想いで見たほうがよさそうですね・・・・。小さい声で白状しますが、私も最初は馴染めなかったのです。結局は自分が慣れ親しんだ習慣が一番だ!という常識に捕まっていただけでした。花立に赤茶けて半分腐りかけたものが供えてあるより余程いいのかもしれませんよ・・・・!?

 

4-NO22-56 
お墓(墓地)と分骨/位牌など C 分骨や位牌/仏壇など 9 墓石を洗うこと
 お墓参りはそれぞれご事情があり、それこそ雨の日も風の日も毎日お参りして般若心経を上げてゆく方もおります。故人との関係についてはどういう形がベストだとは言い切れませんが、私はよく逆説的に『できれば皆さん、ア、線香あげるの忘れちゃったヨ・・でもマいいか明日で・・・という日が一日でも早く来ることを願っています』と申し上げています。
供養は本当にキリがありません、どこまで丁寧にしてもしすぎることはありません。でも皆さんの故人への想いも、時間と共にその質が変わり日常に溶け込んでくるようになることはよくご存知ですね。決して思い出や別れの辛さがなくなることはありませんが、その質が変わってくるのですね・・・・。
そして、その頃になるとようやく『そうだよね、自分が元気でしっかりと生きてゆくことが一番喜んでくれるよね・・』と得心できるのだと思われます。そうしますとお墓参りも、毎月の命日には必ず出かけたのがチョっと間が空くようにもなるかもしれませんね?でも、それでいいのじゃないでしょうか?すると、今月は必ず行かなくちゃ、そしてしっかり掃除してやらなきゃネ・・、となりまして墓石も入念に拭きあげられますが、この墓石の手入れに迷う方がいらっしゃるのです・・・。「方丈さん、墓石に磨き粉つけて金ダワシでこすっているのを見たけどそこまでせにゃいかんかネエ?」というわけです・・・・。 これも土葬の時を思い出していただければおよその見当はつくかと思いますが、その当時の墓石は『草葉のかげ、苔むす標』でした。墓標自体も研磨加工は現代のような状態であるわけがないのですから、ザラ々して布でぬぐうことすら引っかかって大変でしょうし、手桶一杯の水が精一杯であったろうと思われます。しかしながら、今のようにきれいな表面の墓石が微妙にくすんでゆくのを見てどう感じるか?これも美意識というか感性というかなんとも線引きに困るところですねえ。結論は、ご自身にプレッシャーをかけすぎない程度にホドほどに・・・ということでしょうか?

 


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