(まとめ10)静岡市吉祥寺の中野住職が語る「仏事のこぼれ100話」--10--徒然に 所感
静岡市吉祥寺(http://www.kitijyouji.jp/)の中野住職が語る「仏事のこぼれ100話」です。
富士山の見えるお墓,樹木葬,海洋葬,葬式,守り本尊,戒名,法要,初七日,四十九日,初盆,新盆,供養,納骨,お墓,一周忌,三回忌など、
身近な仏事から役立つこぼれ話を選んでみました。
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10:徒然に 所感
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徒然に 所感 1
突然ですが「 夏草や つわものどもが 夢のあと 」という有名な芭蕉の句があります。
私が山寺の吉祥寺に29で縁があってから20年ほどは、お茶に椎茸・蔬菜を生活の糧としていましたから、草刈をしては茶畑や蔬菜に敷いていましたので、汗みづくになって斜面に踏ん張り、あの独特の草いきれや、土の匂い、まとわりつく名も解らない虫をついつい思い出してしまいます。
これは喜び勇んでできる仕事とはいえませんがしかし、その草にもたれて重たい花をいくつもつける山百合にはホットさせられていました。この、山百合はまた、夕方から夜中が一番よく匂い、甘くむせるようなにおいが家の中まで流れてきてそれはイイですよ!!そして、この根っこは暮れになると店頭に並ぶ「ユリ根」そのものですし、イノシシの大好物の一つでもあります。 ちょっと脱線してしまいましたが、さっきの句と一緒に
「 濃き日陰 引いて遊べる トカゲかな 」という、確か蛇骨?の句を思いだすのです。
私はこの両句に、受験用の正解ではなくて、作品の底に共に流れる 『繋がるイノチ』 を感じています。
人間が、覇を競い栄華を謳歌するその時にも諸々の 『イノチ』 は満ち満ちてその「ヒトの営み」を取り巻いております、淡々とそのままに・・・・。 そして炎天下のトカゲも、彼のイノチそのものである濃き日陰を彼の腹下にまとい、諸々のイノチのまっただ中を移動しているのです、ひたすらカレのままに・・・・・。
妙に重なるんですね・・・・。皆様にはいかが映りましょうか?
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徒然に 所感 2
こんな話を思い出しました。
近所では評判の信心深いおじいさんが、ある夏の暑い日のこと、風のよく通る縁側に本来ならば仏壇に祭られていなければならないご本尊の阿弥陀様を持ち出してきて、ぶつぶつ言いながら団扇で扇いでいるところを見た人が思わず声を掛けたそうです。
「おじいさん、どうしたんです?阿弥陀さんを マタ そんなもったいない・・・」と言ったら、「いやいや、こう暑くちゃあんな狭い風も通らぬ入れもんの中じゃ、かわいそうでな、こうして涼んでもらっているんじゃヨ」と言われ、「そんな、アンタ・・・・」といってあきれて帰った、ということです。こんな話を聞くと、一休さんや了寛さんを思い出しませんか?四面四角に縛られず一見滑稽だけれど、何とも洒脱な達人の雰囲気ですよね。
ちょっと「クサイ?」感じもしますが、この話に隠されている 『自分と自分の信仰の在りよう』 は非常に風刺的ですね。 普通は 私と私のする信仰の対象 は別のものです。これが一緒になると意味も価値もなくなってしまいます。なぜなら『私に無いもの』を信仰とその対象という特異なモノに 『預けて』 初めて意味も価値も成り立つからですね・・・・。
信仰も怖いですよ。 一歩間違えばすぐ「狂」がついてしまいます、 だが本人は全く気づかない!
そして伝染して強固な集団が出現いたします。集団ができるとその後はこの集団をより大きく拡大しようとして「布教」が始まるのです。 信仰集団の自己増殖ですね、宇宙全体に布教しつくすまで決して止まりません。そしてこの 『塗りつくし多い尽くすこと』 こそが布教の本質であることを知ってください!!
よくよく心したいものですね・・・・・。
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徒然に 所感など 3
高校野球の時期がやって参りました。これは独特の雰囲気ですよね。
ナイターと高校野球とビールが何よりの楽しみな方々にはたまらない季節でしょう・・・・。そしてこの時期になって私の中で必ず思い出されるのが、棚経の手伝いに行った19の時の思い出です。ちょうど坊さんになって1年後ですから、軽い緊張も残っていますが、なんとなく慣れてもきた時ですね。 お邪魔したお宅にはお婆さんがいまして、TVでは高校野球を流していました。
挨拶を交わしつつローソクに火を点し、線香を立て更に咳払いまでして、合図を送ったつもりでいましたが、まだTVは止まりません。 「もうそろそろスイッチを切ってもイイ頃だけどなあ・・・・??おかしいなあ?」と思いつつチーンとお鈴(りん)を鳴らしましたがまだTVはそのままです。
ついに我慢できなくなって「すいません、TV止めてもらえます!!お経をはじめますから」と言いましたら、「すいませんなア、死んだ孫が野球やってましてなア、いつも聞かせてますんじゃが、こらえていただけませんかなア・・」と返事が返って参りました。
もう何も言えませんでした、ヒア汗がどっと噴出しただけでした・・・・・・・・。 なんともホロ苦い思い出です。
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徒然に 所感など 4
前に葬儀の時には「真っ白になる」と書きましたが、本当にそうなんですよ・・・。
事前に全てシミュレーションしていたプロの私でしたが、師僧が亡くなった時には慣れたはずの車庫入れにバンパーをへこましていますから、なかなかです。また中には、私が「ではお約束どおり明日8日火曜日の10時ごろお邪魔しますね。くどいようですが、お茶一杯ご心配してはいけませんよ。お召し物も普段着でいいですよ」と電話でやり取りして、翌日にお邪魔したら、「お母さんが、どこかから電話あったけど、何処からだったか思い出せない、というので主人が居る時にしてもらわないと困ります」といって玄関先で帰ったこともありました。
人は強いところもありますが、また脆く弱いものでもあります。日ごろのようにはまいりません。
余談ですけど、涙もろい私は、涙が止まらないと困るのでいつでも事前に々と心の支度をするんですが、
時に『冷たい奴だ、理屈っぽい』というように言われます。これも痛し痒しでして、弱いから前もって準備して自分を守ろうとしているだけなんですが、外に現れる表現は逆に受け取られるんですかねエ・・・・。
ま、それは置くといたしまして、普段にはあってはいけない「不幸」なんですが、逃げてばかりいればいざという時にそれこそ動転してしまい後悔ばかりをすることになってしまいます。
何かのきっかけや、時期が来たら事前にきちんと準備をなさっておかれることをお奨めさせていただきます。
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徒然に 所感 5 H20の8/4の静岡新聞の一面に!!
『親が外国籍の子供が 30人 に一人』 という見出しが静岡新聞の第一面に躍っていました。正確には『外国籍ではなく 外国人 』と印刷されていましたが、あえて問題提起のつもりで 外国籍 としましたのでご容赦を・・。 しかしですよ、日本国籍を持った人が例えばアメリカに帰化して米国籍を取得したら、その方は日本人ですか?それとも外国人であるアメリカ人ですか?と意地悪く思うのです・・・・。
国際交流がますます激しくなります昨今、ボツボツ私たち一般人も気持ちの切り替え準備をし始めた方がいいんじゃないかと思いますが・・・・・・・?
さて、この厚生労働省の調査は一クラスに一人がいわゆる「混血」ですよ、という意味を投げかけています。
ついこの間までは、葉隠れ精神や大和魂が云々され、国旗や国歌が問題になり、同時に国際化とか国際人という話題が盛んに取りざたされておりました。その度に不思議な感覚を覚えていたのですが、今日の見出しを見て、改めてその疑念を意識したのです。
それは、◎ 日本人ってなに? ◎ 国際化・国際人ってなに? ということなんです。どうか笑わないでください、性格というか変なところが気になるものですから・・・。でも、ここのところをしっかりと押さえ、共有してゆかないと、コトバだけが一人歩きして、いつの間にか歩く道がとんでもない方向に行ってしまうんじゃないかと思うのです。そこで、仏事とは直接関係ないですけど、チョっと書いてみます。
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徒然に 所感 6 日本人って? 一
普段は当たり前すぎて考えることもありませんが、少なくても 『ヒトという種の発生以来からの単一民族』 だったと信じている方はいらっしゃらないと思います。
前に青森でしたか「三内丸山遺跡」が騒がれましたネ。その後も考古学を初めDNAの関係やら、国外の資料やらを駆使して、総合的に「日本人のルーツ」関連の世界が、随分とはっきりしてき始めたようです。
まず「稲作は弥生からで、それ以前は狩猟採取の低めのレベル」と習ったことは、ひっくり返りました。縄文時代にも狩猟採取と平行して既に稲作も行われており、なんと、開墾され食料としての『栗』が栽培されてもいたのです!そして、縄文人 対 弥生人という習慣文化の著しく違ったもの同士は、衝突しつつも「北海道・青森から九州までの広範囲」で技術や文化の交流があったことがわかりました。
ということは源日本人とは、縄文以前から弥生にかけて、北方はシベリヤ方面から、南方はインドネシア方面、そして雲南地方、中国から朝鮮半島を含めたいろんな種族というか民族というか、様々なタイプの集団が氷河期の陸続きに、温暖期の海流に乗って渡ってきた人々だったことが証明されたということになります。つまり 『今の日本人とはそのようないろんな集団の混血の果てに存在している!!』ということです。日本列島は形を変えつついつでもその本体は日本列島ですが、その上に暮らす日本人とは種々様々な人々の習慣・文化の融合の果てにある集団なのであり決して単一民族などではないのですね・・・・。
くどいようですが『混血の極み』であって、いまさら改めて混血というコトバさえおかしいともいえるのです!
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徒然に 所感 7 日本人って? 二
不思議ですね、習慣や風習が違えば、食べ物の嗜好も考え方も道徳も違ってきます。その溝は『生理的に』埋められません!!理屈抜きに 『あわない・許せない』 という感覚が生ずる次元に属します。これこそが、民族間の言われなき 憎しみ・差別・嫌悪 の理由なのですが・・・・・・・。
しかし、ローマ人が選んだように「異種文化を否定せず、自然に同化させる」方法は既に実験済みで、大ローマ帝国という形で結実しました。また、現在は特にアメリカで「現在進行形」として試練を迎えています。これらのことから私らが学ぶべきことはなんでしょう? それは権力などによる押し付けと強制などで融合は行われるべきものではなく、この生理的とさえいえる 憎しみ・差別・嫌悪 の感情を乗り越えられるものは、ヒトと人が好意を持てること、好きになれること 、いわゆる『 恋 』 することだと・・・・・学習したいと思うのですがいかがでしょう??!!。
政治的に意図するとか意図しないなんて小難しいことではなく、一般庶民は「恋」ですよ。「好き」になることなんですよ・・・。これこそが 言われなき憎しみや嫌悪 をもたらす、習慣・宗教の壁を乗り越え、新たな価値観を生み出す、原動力になるんじゃないでしょうか・・・・・・・?
勿論この表現は一つの アヤ ですよ、誤解しないでくださいネ・・・。
単一純潔にあこがれることも解らぬではありませんが、それは悲しい妄想です。歴史に学ぶことは「固執はジリ貧であり、動き止まぬのが真実だ」ということかと・・・・・・・・・・・・?
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徒然に 所感 8 国際化・国際人ってなに?
実に耳に響きのいい、カッコいい言葉です。タイトスカートや背広をビシっと決め颯爽と風を切って歩き、流暢な英語を操り、ジェスチャー豊かにやりとりをする・・・・。そんなイメージが湧くんじゃないでしょうか?
そんな時思い出すのは、かつて学校で聞いた エスペラント という言語のことです。どこの国の言語でもないから、どの国の人にもすべて等しく学べ、文化のしがらみがありません、しかしそんな共通言語の夢はいつの間にか消え、現実の経済活動と戦力のバランスは『英語』を国際語としてしまいました。
この事実をしっかりと見ないと「国際化」のコトバに踊って足元を掬われてしまいます。現実の 国際人・国際化 とは国境を乗り越えることが目標なのではなく、『国益』を守る為の知識と技術を身につけることだと知ることからしっかりと出発しないとなりません。理想は高く現実はチョっと惨めですけど・・・・・。
ところで、洞爺湖サミットを待つまでもなく、今の日本に住む人は全員が、恐らく「環境は国境を越えた問題だ」と理解していると思われます。しかし、地球規模での思考や活動は 国益 が厚い壁となって立ちはだかっています。愚かですが、これを超えるにはまだまだ 時 がかかることでしょう。しかし、8/4の新聞の数字が示すようにヒタヒタと庶民レベルでも変化が出始めています。グっとこらえ、大所高所の視点を保ちたいものですよね・・・。
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徒然に 所感 9 日本人と国際化
私たちは保育園から大学までかかってウラもオモテも学んで参りますが、当然その年齢にあった内容というものがあります。 小学校のうちから「ウソも方便」とか「許容範囲」とかいったことを積極的に伝えることは、穏当とはいえないでしょう。 先ずは判断や感性の「拠り所」を準備しないことには始まりません。いわゆる父母と家族を原点に 家があり市区町村があり国家へと拡大され、いろんな文化習慣・嗜好道徳が刷り込まれてゆくことから始まります。例えばです、イスラム原理主義の両親から生まれた子供がいたとして、そのまま育てばまず両親たちとほぼ同じような価値観や嗜好を持つでしょうし、その子がたまたま生れ落ちてすぐに不幸にも孤児となり、アメリカのプロテスタントの養父母の家庭で育ったらほぼ養父母と似たような世界観を持つでしょう。この当たり前の事実をしっかりと見ておかねばなりません。そして重要なのはその後のことでしょう。 酸いも甘いも噛み分けられ、アヤを理解できるようになってからが、本番ですよね。 そしてこの 『本番』 こそ、純真な時の疑問を再度問いかける時だと思うのです。
『人はどうして戦争するの、殺しあうの?』と・・・・。
しかし今回は国際化の話ですから、 「なぜ英語でなければいけないの?」 と問いたいものです。 今、北京オリンピックが始まりました。生意気なことを書いてきた私ですが、その私は無条件に『日本人選手』を応援しつつ、オリンピックって国威発揚がその精神だったっけ??イヤその理念は違ったよね・・?と思っているのです。 これって矛盾もいいところですよねえ!! まさに『刷り込まれた 業 だナア・・・・・』と感じております。頭じゃわかっても、まだ々遠い 日本人と国際化 です。 いや 人間と国際化 ですね。
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徒然に 所感 10 デジタル化の話
過日いただいたメールの中に 「連日、真夏日あるいは猛暑日が続いておりますが、お元気でいらっしゃいますでしょうか?このところ、東京では豪雨が続いているそうで、今日もマンホール内で作業中に水害事故があったとの報道がありましたが...近年は天候が極端で、自然までもデジタル化 しているのではと思いたくなります。(降ると豪雨、晴れると猛暑)」 というくだりがございました。
なるほどその通りだよなあ!さすが、自分でプログラムを操って、未だに定番の ワード を使っていない人ならではの表現だナア・・、と感心しております。
俗に 地震カミナリ火事親父 といいますが、天変地異は大昔からままならぬものでした。ところが、たったこの200年の間に私達は地球の環境を激変させ、結果として気象を変えてしまいました。有史以来の出来事ですよね。 しかし喜べません。 マイナスの作用なんですから・・・。
どうすればいいのでしょう? いろんな対応があるでしょう。 無関心 /自分達の儲けだけ考える/ 国益優先/保護活動にまい進 /モッタイナイ活動 など・・・・・・。中でも更に 究極の無関心 もありまして、それはこのようないろんな事をひっくるめて 『定め・業』 だからと逃げてしまうこと・・・・であります。
しかし一つだけいえることがあります。今日をもたらしたのもヒト、喧々諤々とあがくのもヒト、虚無や無関心もヒト、こんなことを云々しているのもヒトです。
原因と結果という果てしない 縁 の連鎖の真っ只中で、 サア 選ぶのは私だと・・・・・・。
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所感 11 突然ですが、ある質問が入りました
8月のお盆に歩いていた時のことです、初盆のお宅で次の質問がございました。
『1周忌前に引越しをするが、1年は喪中というし、転居案内を郵送していいものだろうか?』という内容でした。 一般的には 年賀の欠礼 はよく目にいたします。そして会葬時に不十分であったお返しを、寒中お見舞いや暑中見舞いなどと共にお礼を兼ねて発送することも行われます。
さて今回の質問が出てきた背景は、喪中とその間の制限はどういうものだろうか?という迷いでしょう。因みに
転居案内はどういう範囲の方々に送るかと考えてみると、訃報を知らせる範囲よりはるかに広くなりますから今年中に皆さんに転居案内と年賀欠礼が届くことになります。当事者としては 『かえって気を使わせてしまうのでは?』とか 『喪中だから 転居 という行為自体がチョっと・・・?』 と思われてはいやだなあ・・・と考えてしまうことも当然でしょう。
しかし、受ける側にしてみると 転居 は日常茶飯の仕事がらみも多く、計画的な決められた予定という範疇のことになるでしょう。 一方葬儀は不確かな不幸であり何時発生するか全くわかりません。従って、転居を知らせずに 『転居の為お届けできません』 となって相手を不安にするよりも、早く知らせてあげるべき情報だと考えられますので、サラっとした挨拶文でお出しになったら・・・と申し上げました。
後日に年賀欠礼が届いてもおそらく電話くらいで済むことと想像されます・・・・。
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